ブルゾンちえみは「愛される消耗品」として終るのか
ブルゾンちえみをはじめて見かけたのはいつだったか。少なくとも2016年にはその存在すら知らなかった。しかし、まさしく彗星のように現れた彼女は、今となってはテレビで見ない日がない。それでも彼女がR-1に出場するまでになっていると知って非常に驚いた。正直彼女がここまで支持を集めると思っていなかったからだ。
ブルゾンちえみは面白くないのか
「ブルゾンちえみは面白くない」という意見をちらほら見かける。普段芸能界を斜に構えて見ているような人たちですら、ブルゾンちえみの評価に対しては皮肉よりも困惑を感じているようだった。
そしてブルゾンちえみは、かつての藤崎マーケットやモンスターエンジンと同じ様に、「愛される消耗品」としてテレビ業界の中で良いように使われている。どんなネタをするかではなく、勢いやキャラクターが受けてしまっているのだ。Rー1でネタが飛んでもかなりの票が入ったのを見て、彼女がまだ芸人の土俵にすら立てていないのではないかと感じた。
だから、「ブルゾンちえみは面白くない」という評価は間違っていない。
ではブルゾンちえみが所謂芸人的な面白さを持った存在でないのだとしたら、彼女はなぜ支持されるのだろうか?
ブルゾンちえみは〈モテろ〉という自意識から女を守る防弾チョッキだ
言ってしまえば〈勘違い女〉の〈強引なモテ指南〉が感じさせるイタさがそのままネタになっているだけなのだから、練りに練られた芸こそ至高という人には向いていない。そして実のところ〈女がモテるために何をしているか〉なんてことにからっきし興味がない世の男性達は、彼女のネタそのものに興味が湧かないのだろう。
逆に女性は、普段から「元気だして!いい男なんていっぱいいるじゃん!」とか「たまには彼からのアクションを待ってみるのも手じゃない?」という毒にも薬にもならないアドバイスを聞かされている。ブルゾンちえみはそういう耳蛸なアドバイスを思いっきり毒に変える。それによって女性は圧倒される。そして、〈モテも行き過ぎるとむしろ滑稽だな〉という謎の安心感を女性に与えるのだ。
ブルゾンちえみの場合、〈面白い〉は副産物でしかない。彼女の最も重要な役割は、モテを夢見る女性すべてに〈このままでいるほうがマシ〉という安心感を与えることなのだ。
ブルゾンちえみは自由な遊び場なのだ
〈モテモテのキャリアウーマン〉という設定と〈モテとは程遠い攻撃的なメイク〉とのギャップは確かに印象的だった。若い女性を中心に支持を集めるのも理解できる。ツイッターやフェイスブックには彼女のメイクを真似した投稿が相次いでいる。
それだけでなく、彼女の挑発的なファッションと肉感的な肉体によって繰り広げられるダンスも注目を浴びている。youtubeにはこんな動画があげられている。
この動画は踊ってみた系の中でもかなり独創的で面白い。社交ダンスでもあのネタって再現できるんだ!と感動すらした。
これ↓なんかはブルゾンちえみにかこつけてダンスしているだけなんだけれど、曲の意図がよく汲まれていると思う。
DIRTY WORK - AUSTIN MAHONE feat. ブルゾンちえみ // CHOREOGRAPHY BY RIKIMARU
とくにメインの男性二人のダンスが上手い。
こういった動画をアップしている人たちにとって、ブルゾンちえみは「素材」でしかない。ファッショナブルな二次創作なのだ。ひとりひとりの個性によって、ブルゾンちえみは書き換えられていく。 この要素は比較されがちな渡辺直美には無かったものだ。
ブルゾンちえみは砕けない
彼女の芸が今のままで面白くなるとは思わないが、面白くなくたってべつに構わないのだ。ブルゾンちえみはブルゾンちえみのままでいればいい。彼女が常にセクシーでファッショナブルでラグジュアリーでセレブリティーな存在でいたいと望む限り、ブルゾンちえみは砕けない。