東山さんは生きている

徒然なるままにその日暮らし

やっぱりこうなるのかと

さっそくブログを放置してしまった。

コンスタントにブログを更新できる人って本当にすごい。

人気の人は二三日更新がなかっただけで「更新楽しみにしてます!」っていうコメントがついたりもするもんね。私のブログには当然コメントもアクセス数もないが、世の中の人気者へ向けたコメントって結構面白い。

 

放置へのコメント3選

こういうコメントも人それぞれで、「更新楽しみにしています!」という天使型から「更新がとまっているので心配です」という田舎の母さん型まで幅広い。まあコレくらいならいわれる側も楽しいだろうなと思う。けど時々「放置ですか?」というド直球型がいる。こう言われちゃ恐らくたまったもんではないだろうな。かといって「じゃあ書かなきゃな」とも思わないだろうな。基本的にブログなんてやっている人はひねくれていて何ぼだと思う。ひねくれている人間に「放置ですか?」なんて聞いたら「放置?放置の概念って何?何を以て放置と言うの?ねえ!?」と言われるだけだろう。みんなそっとしておいて欲しいのだ。

こういうのの何が面白いって、「急かすのはやめろ層」が絶対にやってくること。「ここは○○さん(管理人)のものなんだから○○さんの自由にすればいいよ!急かされてやる気なくなっちゃうじゃん」という「勉強しろっていわれたらする気がなくなっちゃったじゃん!」とお母さんに言い続けてきたんだろうな(私含む)という共感不可避の正論を言う人がでてくる。これくらいなら「御の字やで・・・サンキューや・・・」と思う人気者も多いんじゃないだろうか。

 

「急かすのはやめろ層」のデメリット

基本的には「急かすのはやめろ層」のおかげで場は平静を取り戻すはずだ。しかしこのありがたい「急かすのはやめろ層」のせいで恐ろしい代理戦争が勃発することがある。なぜか?「急かすのはやめろ層」は大体「急かすのはやめろ」だけでは止まらないからだ。「そんなこともわからないなんて本当にキッズはこれだから^^」とか「人の文章を理解できない低能はコメすんな」とか、言いたい放題だ。それに気分を害して、また噛み付く人がでてくる。「言い合いはやめて!」という正論系のコメントは大抵無視される。

誰かのブログのコメ欄でこういう言い合いをすることの恐ろしさって、「皆そのブログを書いている人のことが好きで集まった人たち」だっていうところにある。好きだから攻撃するし、好きだから傷付くのだ。

元は一つの記事や影像や作品を見に集まった人たちの中で、論争とも言えないスピードと強さで議論が進んでいってしまう。誰かと誰かがお礼を言い合っている間に、誰かと誰かが互いを口汚く罵りあっている。いずれこのスピードに飲み込まれていくこともわかっているから、酷いことだって言うことができるのだ。そういうのを見ていると、なんか、縮図だなって思う。皆急いで歩いているから、誰かの肩にぶつかって舌打ちされてもそれほど気にならないのと同じだ。

サカナクションの「エンドレス」にはそういうカオスが表されているように感じる。


サカナクション - エンドレス(MUSIC VIDEO)

この曲が「youtubeのコメント欄をヒントにして作られた」と聞いた時はなるほどなと思った。

 

 

色々書いたが、人気者には人気者の弊害があるんだろうな。一方で、人気者をめぐってコメント欄で争う人々にもそれぞれの苦しみがあるに違いない。個人的には場が荒れるのはあんまり好きじゃない(youtubeのコメント欄が荒れているのを見るとチャンネルの持ち主がかわいそうになる)けれど、荒らしている人の奥底に愛があるんだと思うと妙に切なくなる。